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名古屋地方裁判所 昭和45年(行ウ)47号 判決 1975年2月24日

原告

河村靖雄

ほか四名

右五名訴訟代理人弁護士

井上哲夫

ほか一名

被告

愛知県知事

桑原幹根

右訴訟代理人弁護士

佐治良三

被告

愛知県

右代表者知事

桑原幹根

右訴訟代理人弁護士

佐治良三

ほか九名

主文

原告らの被告愛知県知事に対する訴を却下する。

原告らの被告愛知県に対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

(原告ら)

「一、被告愛知県知事は、昭和四五年七月二九日付愛知県文化会館長名で原告らに対してなした愛知県文化会館小展示B室利用許可取消処分を取消す。

二、被告愛知県は、愛知県文化会館の名において、名古屋で発行する朝日新聞朝刊第三面および中部日本新聞ならびに毎日新聞の各朝刊第一五面の第一四段および第一五段の二段抜きにて、左右一〇センチメートル、天地二段、見出し「陳謝と取消」および最後の広告主名の「愛知県文化会館」の計一三字は三倍活字、本文ならびに日付は1.5倍活字、本文中の愛知県文化会館ならびに原告ら名は1.5倍ゴチック活字とする別紙文案の広告をせよ。

三、被告愛知県は原告らに対し、それぞれ金一〇万円およびこれに対する本訴状送達の翌日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

四、訴訟費用は被告らの負担とする。」

との判決ならびに第三項につき仮執行の宣言。

(被告愛知県知事)

主文第一、三項同旨の判決および本案につき「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

(被告愛知県)

主文第二、三項同旨の判決。

第二、当事者の主張

(請求の原因)

一、原告らは、いずれもNAG(ニュー・アート・グループ)と称する若手芸術家からなる団体の構成員である。右NAGは、昭和四五年五月一九日から三日間愛知県文化会館(以下、県美術館という)で「未展」と題する作品展示会を開催した。「未展」グループが、右展示会終了後若干の構成員の変動を契機にNAGと改称し、今日に至つたものである。

二、原告らを含むNAGは県美術館展示室利用許可を得るため、構成員の一員訴外岡田博をして、愛知県文化会館長(以下、県美術館長という)に対しその利用許可申請をなさしめ、昭和四五年五月二八日県美術館「文化第三七二号」にて、小展示B室を同年七月二七日から同年同月三〇日までの四日間、午前一〇時から午後六時までの間「NAG展」として作品展示をなすべくその利用許可を得た。

三、そこで、原告らを含むNAGは、昭和四五年七月二七日午後から前記展示室に作品を搬入し展示公開した。

右搬入作品はNAG構成員らによる集団創作になるもので、主たる素材を繩、むしろ、空箱(ダンボール製その他)、空かん、空びん、紙袋、ビニール袋に詰めたその他の廃棄物等に求め、繩を床面上に碁盤状に張り、その各枠の中に繩を除く右素材を随意集合物にしてそれぞれ置いた床面作品であつた。

四、ところが公開展示二日目の七月二八日、県美術館は午前一〇時の開室をなさず、NAGの抗議により午前一一時頃になつて漸く開室した。しかし、同日午後一時頃に至つて、県美術館長は原告らを含むNAGに対し、前記展示作品について「本館の小展示B室におかれているものは、本館に展示するにふさわしい美術作品とは認められないので、すみやかに撤去してください。」との撤去指示をなした。そして、同館長は、同日午後三時頃、原告らが右撤去指示に従わないとみて、係員をして前記展示作品の一部を撤去せしめた。

五、公開展示三日目の七月二九日、県美術館長は前記小展示B室を終日開扉せず、愛知県文化会館条例六条違反を理由として、原告らを含むNAGに対し、前記小展示B室の利用許可処分の取消処分(講学上の撤回処分、以下、本件取消処分という)をなした。

六、しかしながら、県美術館長の前記撤去指示は、以下の理由により違法であり、また、これに基づく本件取消処分は違法として取消されるべきである。

1、憲法二一条、愛知県文化会館条例が保障する「表現の自由」を侵したこと。

(一) 原告らの前記展示作品は、既に述べたとおり、素材にいわゆるゴミを選んでいるが、“突飛な催し物”を狙つたものではなく、NAGの構成員である訴外沢田晴一郎は、昭和四四年一〇月二四日、名古屋市内白川公園での屋外彫刻において、自作のゴミ焼却炉で同公園内から集めたゴミを焼いて煙を出し、この一連の行為を創作作品として展示した。また同四五年四月一日から同年五月三日までの間横浜市で開催された「現代美術野外フエステイバル」において、原告原智彦は、不要になつた、或は捨てられた靴(いわゆるボロ靴)約三〇〇足に銀色ペンキを塗つたうえ、地上に並べて置いたり、積み上げたり、木に掛けたりした作品を創作展示し、また同フエステイバルにおいて原告河村靖雄は、不要となつた菰(一個の重量が約一〇〇キログラム)五個を地上に置いた作品を創作展示した。さらに前記原告原智彦は、同年四月一二日、廃棄物のためドブ川となつた名古屋市内納屋橋付近の堀川で魚を釣るべく釣り糸を垂れているところを写真撮影し、この作品は後日NHKテレビにて放映されている。NAGが集団創作作品としていわゆるゴミを素材にしたのも、こうした一連の作品の流れの一つであつた。

(二) ところで、近代美術から現代美術への潮流を概観するに、まず、第一次世界大戦中からその戦後にかけて、従来の芸術伝統形式を白紙に還そうとするダダイズムの運動が起こり、例えば自転車の車輪、便器といつたごく平凡な既製の日用品をその本来の用途から離して一個の芸術品に装つたものであつて、芸術ないし芸術作品という既成概念に対する完全なアンチテーゼとしての意義を有し、絵画とも彫刻ともつかない作品、オブジエを現代芸術の中に発生させる重要な機縁の一つになつた。

その後、シュールレアリズムの運動の中で再びオブジェが取り上げられた。シュールレアリズムとは、一言でいえば、想像力の解放運動であり、人間の内部と外部、或は意識と無意識といつた矛盾を超えようとする運動といえるが、画家や彫刻家は夢とか無意識など人間の深層にある欲望の象徴物としてのオブジエに重点を置き、既製品やその部分或は自然物を含めたあらゆる素材の突飛な組み合わせによつて、絵画や彫刻の枠の外で、シヨツキングな物体を作つた。

こうした状況は、第二次世界大戦後に至つて更に普遍化し、絵画と彫刻との境界がきわめて不分明となり、現在総括的に「ポツプ・アート」(ポピュラー・アートの略称、作家の好んで描き、作る作品の題材が今日のマスプロ文明の産物であり、そうした環境の卒直平明な反映であるという点で共通性を有する)と呼ばれる運動が、戦後における芸術の大きな潮流の一つとなつて、アメリカ、ヨーロッパのみならず、我が国においても一般化している。

更には、このポップ・アートからコンセプチユアル・アート(観念芸術)と呼ばれる傾向が生まれた。これは「つくる」ことより「指し示す」ことへの移行という言葉でよくいい表わされるが、物の持つ物質性と作家の持つ意図としての観念が奇妙に遊離している表現方式をいう。原告らの本件展示作品の数日前の昭和四五年七月一五日から同月二六日までの一二日間、県美術館展示室において開催された「日本国際美術展」(東京ビエンナーレ)の展示諸作品は、こうしたポップ・アートからコンセプチュアル・アートへの流れの中で把握されるべき作品である。

(三) 而して、原告らの本件展示作品と以下に列挙する右「日本国際美術展」の諸作品間に本質的な差異はないのである。

① ハトロン紙をテープで継いで大きくし、その各端を上に折り曲げただけの狗巻賢二創作作品。

② 展示室(小室)全体を布で覆つただけのアメリカ、クリスト創作作品。

③ 赤錆びて捨てられた鉄棒数一〇本を転がしたままのアメリカ、カール・アンドレ創作作品。

④ コークスと黒い紙屑を積み上だけのドイツ、ラライナー・ルツテンベルグ創作作品。

⑤ 川で拾い集めた自然石の集合のみの堀川紀夫創作作品。

⑥ 割り砕いた自然石を積み上げただけの小池一誠創作作品。

⑦ 上部を少し四角に削つた松の丸太九本を並べ立てただけの高松次郎創作作品。

しかるに、県美術館長のなした本件撤去指示は、とりもなおさず原告らの前記ゴミを素材にした芸術作品の内容にまで介入しこれを規制することに外ならないのであつて、作家の「表現の自由」を保障した憲法二一条に違反するものであり、更には、展示作品の内容につき別段規定を設けていない愛知県文化会館条例に照らし、違法というべきである。

2、全面撤去の違法性

仮りに、展示作品の素材が有する腐敗悪臭等衛生上の問題および極端な不快感をもたらすという観点から、素材ないし作品に対する最低限のチェックとして撤去を行ないうるとして、原告らの床面作品の素材の大半はダンボール等乾燥素材であることから、僅かな腐敗物等に対する撤去の必要はあつたかも知れない。もつとも、これら腐敗物等も二重のビニール袋に詰め、更に防虫剤を噴霧済みであつて、展示室管理上撤去の必要性は殆んどなかつたのであるが、仮りに臭気、不快感があれば、撤去の必要性は右の範囲の素材に限つてなされなければならない。そうでなければやはり作品に対する介入、強権発動というべきである。しかるに、県美術館長のなした本件撤去指示は、原告らの本件床作品全部に対するものであるから、違法である。

従つて、違法な撤去指示に基づいてなされた本件取消処分が違法であることは明らかである。

七、また、県美術館は、故意または過失により違法になした本件撤去指示および取消処分により、原告らから作品展示の機会を奪つたほか、原告らの作品を作品ではないとして県美術館外へ違法に撤去し、県美術館という東海地方では最大の公共展示機関から締め出しその名誉を毀損した。そのため、原告らが被つた精神的苦痛はきわめて甚大であり、これを金銭に評価すると、各原告らにつきそれぞれ金一〇万円を下らない。

八、よつて、原告らは県美術館の設置管理者である被告愛知県知事に対し本件取消処分の取消を求めるとともに、被告愛知県に対し、国家賠償法一条一項に基づき名誉回復のため請求の趣旨第二項の如き謝罪広告をなすことおよび前記慰藉料各金一〇万円とこれに対する本訴状送達の翌日たる昭和四五年一〇月三一日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるため、本訴提起に及んだ。

<以下事実省略>

理由

第一被告愛知県知事の本案前の抗弁について

県美術館小展示B室の利用許可申請をなしたのは訴外岡田博であり、県美術館長の利用許可も同人に対してなされたことは原告らも格別争わない。しかし右岡田個人に限定して右利用許可を与えたとの被告県知事の主張を認めるにたりる証拠はなく、却つて、後記認定のとおり、昭和四五年五月県美術館において開催された「未展」の出品者グループはその後NAGと改称され、原告らおよび右岡田はいずれもその構成員であるところ、岡田は右NAGのために、自己の名義で本件利用許可申請をなしたのであつて、その際右申請書において展覧会の名称をNAG展(旧名未展)と記載して右NAGが実質上の利用者であることを明確にしていたのであるから、県美術館においても、本件小展示B室の利用出品者がNAGであることを了知していたことは明らかであり、従つて、その構成員である原告らは本件利用許可処分により右小展示B室を利用しうる地位を得たものというべく、本件取消処分の取消を求める原告適格を有するということができる。

しかしながら、本件利用期間が昭和四五年七月二七日から同月三〇日までの四日間であることは原告らの自陳するところであり、右期間の経過により本件利用許可処分は既に失効したのであるから、もはや本件取消処分を取消したところで過去に遡つて原告らが県美術館を利用しうる地位を回復することはない。従つて、原告らにおいて本件取消処分の取消を求める利益は既に喪失したものといわなければならない。原告らはその利益のあることについて種々主張する。しかし、本件取消処分の取消が原告らの法的地位について何等の影響を与えないことが明らかであり、また、取消判決が将来同種の処分に対し何等拘束力を有するものでなく、また既判力を取ぼすものでもないことを考えると、本件において既に過去のものに帰した本件取消処分の理由について審理判断することは許されないところである。

従つて、この点に関する被告愛知県知事の主張は理由があり、同被告に対する本訴はその利益を欠く不適法なものとして却下を免れない。

第二被告愛知県に対する請求について

一原告らは、本件展示物がゴミを素材とする床面作品であり、県美術館長は故意または過失により違法に原告らの作品に介入し、その展示を拒否して「表現の自由」を侵したものであると主張するので判断する。

1  昭和四五年五月一九日から三日間県美術館において「未展」と題する展示会が開催されたとの当事者間争いない事実に、<証拠>によれば、原告河村靖雄、同宮島孝子および訴外沢田晴一郎ほか数名は右「未展」グループの構成員であり、右展示会終了後開かれた反省会において、数名の構成員の離脱を契機にNAGと称する新たなグループを結成して、同一テーマの共同作品を創作展示しようと計画し、その後原告青木達雄、同原智彦、同川合英治および訴外岡田博らがこれに共鳴してNAGに加入し、今日に至つたものであるところ、右岡田はNAG展開催のため同人名義で県美術館長に対し県美術館の利用許可申請をなし、同館長は昭和四五年五月二八日「文化第三七二号」にて県美術館小展示B室を同年七月二七日から同月三〇日までの四日間、午前一〇時から午後六時までの間「NAG展」として利用することを許可したとの事実を認めることができる(岡田が同人名義で右許可を得たことは当事者間争いない)。

2  そこで、まず原告らの主張するゴミ作品に関連して、現代芸術の傾向について考えてみるに、<証拠>を総合すると、

(一) 現代芸術の傾向として、第一に素材の拡大、第二に行為の直接性(表現の中に行為が入つてくること)、第三に表現形式の多様化が挙げられるところ、第一の点についてみるに、一九五〇年代後半から、日常生活を構成する大量生産物が本来の用途から離れ廃品となつたもの等を素材とする廃品芸術がみられ始め、極論すれば、作家の観念が廃品等の非常に拡大された素材に出合い何かを発見するならば、すべての物が素材になりうるとする潮流があらわれたこと。

(二) 第二の行為の直接性について、一九五〇年代末から一九六〇年代前半にかけて、従来の絵画形成をはみ出し、行為そのものを作品とし、次いで、ごく普通の素材を行為と結びつけた形で再構成する動きがあらわれ、それが今日に至るまで続いていること。

(三) 第三の表現形式の多様化について、この特徴は前記第一、第二の流れから必然的に導き出されるもので、従来の古典的な概念では到底把握しえない性格の作品、すなわち、一回限りの行為としてのいわば形なき作品が多くあらわれ、更には、物の有する物質性をできる限り極小にして、当核作家の世界全体に対するコンセプシヨンを打出そうとするコンプチユアルアートが国際的に数多く見受けられること。

等の各傾向を見出すことができる。

而して、本件NAG展開催前昭和四五年七月一五日から同月二六日までの一二日間県美術館展示室において「日本国際美術展」(東京ビエンナーレ)が開催され、その作品の中に、①ハトロン紙をテープで継いで大きくし、その各端を上に折り曲げただけの、狗巻賢二創作作品、②展示室(小室)全体を布で覆つただけのアメリカ、クリスト創作作品、③赤錆びて捨てられた鉄棒数一〇本を転がしたままのアメリカ、カール・アンドレ創作作品、④コークスと黒い紙屑を積み上げただけのドイツ、ライナー・ルツテンベルグ創作作品、⑤川で拾い集めた自然石の集合のみの堀川紀夫創作作品、⑥割り砕いた自然石を積み上げただけの小池一誠創作作品、および⑦上部を少し四角に削つた松の丸太九本を並べ立てただけの高松次郎創作作品が各展示されたことは当事者間に争いがなく、これらの作品は右現代芸術の傾向を端的に表明するものと考えられるところ<証拠>を総合すると、NAGの構成員である沢田晴一郎は、かつて昭和四四年一〇月二四日名古屋市内白川公園での屋外彫刻展において、同公園内から集めたゴミを自作のゴミ焼却炉で焼いて煙を出し、この一連の行為を創作作品として展示したことがあり、また、原告原智彦は、同四五年四月一日から同年五月三日までの間横浜市で開催された「現代美術野外フエステイバル」において、不要になつた或は捨てられた靴(いわゆるボロ靴)約三〇〇足に銀色ペンキを塗つたうえ地上に並べて置いたり、積み上げたり、または木に掛けたりした作品を創作展示するとともに、原告河村靖雄は、不要になつた菰(一個の重量が約一〇〇キログラム)五個を地上に置いた作品を創作展示したこともあり、これらはともに前記現代芸術の潮流に乗ろうとするものであつたが、更に昭和四五年四月一二日原告原智彦および沢田が中心となり、廃棄物でよごれた名古屋市内堀川の納橋上で釣り糸をたれる姿を写真撮影するハプニングを演じたこともあつて、原告らは前記未展の終了後、右沢田を中心としてNAGという新グループを結成し、右沢田、原告原、同河村らの前記各一連の作品の流れの一つとして、今日人間の一番身近にありながら公害の一環として大きな社会問題となつているゴミを素材にした共同作品を創作展示することにより社会へ訴えかけようとの意図のもとに、本件ゴミを搬入展示せんとしたものであるとの事実を認めることができる。

而して、これらの事実によれば、現代芸術の流れからみてゴミ等の廃棄物であつても芸術作品の素材になりうることを窺い知ることができるとともに、ゴミ公害に悩まされる今日の生活環境にかんがみ、原告らの本件ゴミ展示の意図はそれなりに理解することができる。

3  そこで、進んで原告らがなした本件ゴミ展示についての経違について検討するに、<証拠>を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(一) 本件利用許可申請から展示に至るまでの経過

訴外岡田は、昭和四四年一二月二日、前記NAGを代表し連絡上の責任者として、県美術館長に対し、展覧会の名称をNAG展(旧名未展)、希望展示室を一階集会室、希望利用期間を昭和四五年八月二二日から同月三〇日までの一〇日間または同年一二月上旬から中旬まで、展示するものを油絵、彫塑、工芸各一〇点、写真五点、主たる構成員を沢田晴一郎、森田義夫、庄司達司および久野真などとする趣旨の県美術館利用許可仮申請書を提出した。県美術館長は、右仮申請に基づき、同年四月九日岡田に対し、小展示B室につき同年七月二七日から同月三〇日までの四日間とする仮割当ての通知をなしたところ、岡田は右通知どおり了承した旨の回答書を提出し、同年五月六日同館長に対し、申請書、利用目的(催しものの名称)および催しものの内容(出品作品)はいずれも仮申請のとおり、出品人員六名、会場および利用期間は仮割当てどおり、利用責任者は申請者に同じ、とする県美術館利用許可書を提出したので、同館長は右岡田あてで本件利用許可書を発送し、あわせて、愛知県文化会館条例四条三項の規定により、利用開始の一〇日前に来館のうえ事前打合わせを行なうこと等の指示をした。

ところが、岡田は利用開始期日の二日前である七月二五日に至つてようやく来館したうえ、出品作品を洋画五、六点、デザイン一五点、写真五点および彫刻三点と変更した。

(二) NAG展第一日目の模様状況

展覧会初日の昭和四五年七月二七日午後二時頃になつてようやく沢田が作品搬入飾付けのため来館したので、県美術館係員が小展示B室を開扉した。そして、夕刻、係員が県美術館主催の美術展の飾付けを終えた後、本件展示室を見たところ、利用許可申請時または直前の打合わせ時に明らかにされていた洋画、デザイン、写真、彫刻などの作品は一点もなく、代わりに沢田をはじめ原告原、同川合、同青木らNAG構成員によつて、ゴミが多量に持ち込まれていた。すなわち、これらのゴミは、県美術館搬入口や近隣の繁華街のゴミ箱などから持ち込んだ紙屑、石油缶、缶詰めの空缶、飲み物の空きびん、ダンボール箱或は筵といつた物が大半であつたものの、水に濡れたタバコの吸い殻、残飯、折詰めの残り、捨てられて腐つた花等が少なからず混入しており、しかも右ゴミの中には腐敗しつつある有機物が含まれていた。そして、これら腐敗性のあるゴミはナイロン袋に入れて捨てられていたものをそのまま搬入したものも一部あるが、包装が完全ではなく、中にはこぼれかけているものもあり、一部はむき出しのまま、小展示B室の床上に碁盤状に張りめぐらされた荒繩の各目の中に雑然と積み上げられていたため、はきだめにおけると同じ悪臭を発していた。

そこで、県美術館長は、利用責任者である岡田との連絡がとれないため、やむを得ず、会場にいた沢田に対し、前記ゴミを撤去して打合わせどおりの作品を展示するよう指示した。

(三) 第二日目の模様状況

翌二八日午前中、原告らは、県美術館南玄関入口付近において、「NAGゴミ宣言」と題し、「日常生活の残ガイがゴミではなく、ゴミ自体、日常我々の血や肉の延長であり、かんきようとしてのゴミでなく、ゴミがかんきようなのである。我々は、ゴミの中にうずもれた自身とかんきようの一体化された全てを見つけ、ひろいだしたい。」などと記載した大きなビラ二枚を掲示するとともに、本件展示室内においても、「観念芸術のゆくえ」と題し、一部に言葉のゴミとして男女性器の俗称などを書き連らねたビラを壁に貼り付け掲示するなどした。

一方、県美術館側は利用責任者である岡田との連絡が依然とれないまま、沢田らの要請によりやむなく午前一一時頃本件展示室を開けたところ、前日搬入されたゴミが蒸れて室内に異様な臭気が充満していた。そのにおいは、例えばゴミ集めの車の側を通る際に嗅ぐような腐敗したゴミが発する悪臭と同程度のものであつた。

そこで、県美術館側としては、現場にいた前記沢田に対し利用責任者の岡田を来館させるよう促すと同時に、打合わせどおりの作品を展示するよう指示したが、沢田はこれに応じないばかりか、これからも毎日ゴミを持ち込むと答え、更に他のNAG構成員らと共に前日と同様のゴミを相当量搬入したうえ、腐敗性のあるゴミをビニール袋に包んで殺虫剤を撤くなどした。しかし、県美術館長は、美術館の建物がゴミの展示を可能にするような設備構造を有しないところから、原告らの前記ゴミの展示物が多数観客の出入りする公共施設としての美術館の秩序を乱すものと判断し、午前一一時五〇分頃、係員をして口頭によるゴミ撤去指示を沢田に対してなし、更に午後一時頃に至り、「本館の小展示B室におかれているものは、本館に展示するにふさわしい美術作品とは認められないので、すみやかに撤去してください。」と記載した岡田あての撤去指示書を沢田に対し手渡し、この指示に従わないときは県美術館側において撤去する旨伝えた。

ところが、その後も依然として岡田は来館せず、沢田らも右撤去指示に従わなかつたので、午後三時頃、県美術館側で撤去清掃に着手したところ、沢田らは大声をあげたりしてこれを妨害したため、事態の険悪化を虞れて一部撤去したに止まり、作業を中止する一方、出品者らの責任においてゴミを撤去し打合わせどおりの作品を展示するよう説得を続けた。而して、当日閉館後係員らが殺虫剤を撤いて消毒した際、ゴミの間を走り回るゴキブリが数匹発見された。なおゴキブリは展示室開扉前の午前九時三〇分頃にも見られた。その後係員は午後一二時頃まで岡田の来館を待ち続けたが、同人は遂に現われなかつた(県美術館側が午前一一時小展示B室を開扉し、午後一時頃館長名で前記内容の撤去指示をなし、午後三時頃展示物の一部を撤去したことは、当事者間に争いがない)。

(四) 第三日目の模様状況

翌七月二九日になつても岡田は来館せず、沢田らにおいても前記撤去指示に従わないため、県美術館側も本件展示室を終日開扉しなかつたところ、沢田らはなおも近隣の繁華街から持つて来たゴミを本件展示室の前に積み上げたので、ここに至り県美術館長は、愛知県文化会館条例七条に基づき昭和四五年七月二九日付本件取消処分をなし、居合わた岡田の父訴外岡田賢一に対し、岡田博本人へ渡すよう依頼のうえ本件取消処分書を手渡した。

(五) その後の経過

県美術館長は、同二九日午後六時頃、ゴミ撤去に関し原告らと話し合つた結果、一両日保管して欲しい旨の原告らの申し入れを容れて本件展示室内のゴミを搬出口に運び出し、県美術館側において保管していたが、、その後三日を経過しても誰も取りに来ず、そのまま放置しては不潔非衛生なので、愛知県文化会館管理規定八条二項に基づき、県美術館側で処分した。また、翌三〇日本件展示室入口前に積み上げられていたビニール袋入りのゴミも同様県美術館側において処分した。

以上の各事実を認めることができる。

(六) ところで、原告らは、本件ゴミにつき、腐敗性のないものが八割を占め、残飯等はビニール袋に二重に包むとともにゴキブリに備え殺虫剤を散布したから、悪臭を放つ非衛生なものではないと主張し、証人河合和、同石井守および原告本人らはいずれも右に副う供述をするが、措信できない。却つて、先に認定したとおり、七月二七日から三日間本件展示室内外に搬入されたゴミの大半はダンボール箱、紙屑等腐敗性のないものであつたが、展覧会初日搬入されたゴミの中には、残飯、腐敗しつつある有機物等の腐敗性を有するゴミもまた相当量含まれ、これらのゴミが一部は包装不十分のまま一部はむき出しのまま床上に雑然と積み上げられたばかりでなく、翌日も同種のゴミが持ち込まれ、ゴキブリが走り回つていたこと、しかも県美術館は防臭換気等の設備も未だ完全でなく、かつ、本件ゴミの搬入された時期が夏期であること等の各事実に、<証拠>によれば、二八日本件展示室開扉と同時に入室し室内の模様状況を直接見聞した報道関係者等の「においを放つゴミの山をめぐつて論争がひとしきり」とか「……ゴミ箱から拾つたゴミを直接、床の上に置くやり方。」とか或はまた「……腐敗しつつある有機物を含んで悪臭を発し……」等の報道その他の記事が散見されること等を考え合わせるならば、原告らの搬入したゴミが不快な悪臭を放つ非衛生なものであつたことはもはや明らかであるということができる。そもそも、原告らがゴキブリ等の発生に備え殺虫剤を散布したこと自体、本件搬入物の不潔性を如実に物語るものといえよう。

また、原告らは、打合わせどおりの作品を展示しなかつたことについてその正当なことを主張する。しかし、右主張事実を認めさせる適切な証拠はなく、却つて、<証拠>を総合すると、なるほど、出品者は利用許可申請後においても想を練りその結果右申請時と異なる作品を展示する場合もあり得るが、県美術館においてはその場合でも従来必ず事前の打合わせがなされたうえで作品の展示がなされており、しかも本件の如く「形状的に」全く異なる例はこれまでみられなかつたこと、本件後に県美術館で開催された名工大展の場合は利用許可申請時の作品とは異なるものの、事前打合わせ時に明らかにされたとおりのものが出品され、かつ、作品の一つであるオブジエには有機物が全く含まれておらず、本件とは事案を異にすること、県美術館は、作品を展示させるに当り職員配置、備品の準備または外部からの問合わせ等に対する事務処理の必要上、利用許可申請時および打合わせ時いずれの段階においても、作品の種類、点数を確実に記載するよう求めていること、および原告らの本件ゴミ搬入を放置していたならば本件展示室のみならず他の展示室にまで悪臭が広がり、ハエやゴキブリ等が発生飛走するなど衛生上の見地から好ましからぬ事態を招くとともに、見学者らの着衣に汚物が付着したり、或はまた他の展示室利用者に対しても迷惑を及ぼす虞れもあり、県美術館の管理運営上多大の支障を蒙るものであつたこと等の事実を認めることができる。

以上の事実を総合すると、県美術館長のなした本件展示物撤去指示は、事前の打合わせに反し、何等の予告もなく突如悪臭を放つ不潔なゴミを相当量搬入展示したこと、展示作品の種類につき打合わせどおりのものを展示するよう指示したのに、これに従わなかつたこと、および公衆の出入りする場所にふさわしくないばかりか品位を害するような掲示物を出したこと等一連の事実に基づき、県美術館の秩序維持、適切な管理運営のため必要であるとしてなされたものであると認めることができる。

4 ところで、憲法二一条が保障する表現の自由は絶対無制限のものではなく、公共の福祉に反しえないものであることは憲法一二条、一三条の規定からして明らかであるところ、<証拠>によれば、愛知県美術館は、県民の文化および教養の向上を図るために設置された公共施設であつて、県民や各種の文化団体をはじめ多数の者らが同館展示室、講堂または集会室などの諸設備を利用して、様々な展示会、鑑賞会、講演会、講習会等を開催するとともに、常時多数の観客が出入りする建物であることから、美術館として相応の秩序を維持するために適正な管理運営を図るべきことが必然的に要求されるものであることを知ることができる。従つて、これを利用する者においても自ら必要かつ合理的な美術館の指示統制に従うべきであつて、一旦美術館の秩序が乱され、その管理運営に支障を来たす場合には、公共施設たる美術館の直接の管理責任者である県美術館長において、当該利用者に対し適切な指示をするほか利用許可を取消し、或は展示物を制限し撤去することもありうるわけであつて、その結果、当該利用者の表現の自由が妨げられることがあるのも、また公共の福祉による制限としてやむを得ないところである。

前掲乙第一号証により認めることができる愛知県文化会館規制一〇条は、館長において会館の秩序の維持および施設の管理上必要があると認めるときは、利用者に対し、会場等の利用に関し指示することができる旨定めるとともに、同文化会館条例六条は、同じく利用者に対し、館長の指示に従うと同時に会館の秩序を乱す行為をしてはならない旨規定し、更に、同七条一項において、館長は、利用者が前条の規定に違反したときは、利用許可を取消し、または利用の中止を命ずることができると規定し、同七条二項において、知事は、公共の福祉のためにやむを得ない理由があるときは、館長と同様の措置を講ずることができる旨各定めるのは、以上に述べた趣旨から首肯することができる。

5 而して、これを本件についてみるに、先に認定したところによれば、本件利用許可の取消はもとより、県美術館長が本件ゴミ撤去指示をなし、同館員らが事実上その撤去をなしたのは、主として、何等の予告もなく突如として、かつ、その制止に反し原告らによつて強い悪臭を放つ不潔、非衛生な生まのゴミ等が相当量持ち込まれたことにより、夏期において防臭換気等の諸設備の十分でない県美術館全体の管理運営に支障を来たすとの判断に基づくものであるというのであるところ、原告らの展示物たるゴミが作品として鑑賞に堪えうるか否かはさておき、先に認定した本件ゴミの質、量、その置かれた場所、状況、展示の方法、撤去に至るまでの経緯等からみると、県美術館側のとつた右一連の行為は、公共施設たる美術館の秩序を維持しその適正な管理運営のためになされたやむを得ない当然の措置であるということができる。そもそも右のごとき内容のゴミを素材とした作品を展示するには、それ相応の配慮の下に、それに適した手段方法が選ばれてしかるべきであつて、多くの公衆が出入りする県美術館展示室内に、本件のごとくゴミを展示した原告らの行為は、著しく配慮を欠き、他の迷惑を顧みないものとして非難は免れ難いといわなければならない。

二原告らは日本国際美術展(東京ビエンナーレ)の出品作品のうちに本件展示物と同質の七作品がある旨主張する。而して、右七作品が展示されたことは前記のとおりであるが、原告らの展示物がこれら諸作品と同質であるか否かはさておき、少なくとも素材の面からみるならば、右諸作品には腐敗性を有する生まのゴミ、有機物が全く含まれていないのであつて、この点原告らの本件展示物は異なるのみならず、先に認定したゴミ展示の状況、展示にいたる前後の経緯等か考えらて、これらと同列に評価することはできない。また、原告らは、本件ゴミ撤去に関し、県美術館側における作品に対する官僚的芸術観に基づく介入であるとし、同館長が発した前記撤去指示書中の「……本館に展示するにふさわしい美術作品とは認められない……」との表現を把えて、その証左であるというが、先に認定したところからして、右「ふさわしくない」等の文言はたんにゴミ自体がきわめて不潔であつて、公衆の出入りする場所に展示するには適切でない、という趣旨を意味するにとどまり、敢えて原告らの作品内容に干渉し、本件展示物の芸術性の有無について審査判断したものとは考えられないし、その他美術館側において原告らの搬入展示した本件ゴミを特定の意図の下に介入排除したことを認めさせるにたりる適切な証拠はないので、原告らの右主張を容認するわけにはゆかない。

更に、原告らは、仮りに僅かな腐敗物等に対する撤去の必要があるとしても、県美術館長はそのものに限り撤去すべきで、本件展示物全部の撤去を命じたことは作品に対する干渉であると主張する。しかしながら、先に認定したとおり、本件ゴミは展示室床上に荒繩で仕切られた各枠の中に、腐敗性を有し臭気を発する有機物等を相当量含む多種多様のゴミが雑然と積み上げられていたものであり、更にNAG展二日目に至り県美術館係員が沢田らに対し右ゴミを撤去のうえ打合わせどおりの作品を展示するよう要請したにも拘らず、右沢田らはこれを聞き容れないばかりでなく、なおも同種のゴミを搬入したというのであるから、およそ展示物の一部手直しなどを指示できる状況ではなかつたとみるのが相当である。県美術館長において仮りに原告ら主張のごとき展示物の部分撤去ないしは手直しを指示したとすれば、そのことがとりもなおさず作品内容の干渉と疑われる虞れのあることは容易に想像しうるところであつて、原告らの右主張は、一方では作品に対する干渉、介入を拒否しながら、他方においてはそのことと矛盾する展示物の部分撤去または一部手直しを要求するものであつて採用することはできない。

三してみれば、県美術館長のなした本件撤去指示と撤去行為、ならびに本件取消処分は、前記愛知県文化会館条例、同規則等に従つてなされた当然の措置であるから、これらを以て違法に原告らの表現の自由を侵害したという原告らの主張は当らない。

以上の次第であるから、原告らの被告愛知県知事に対する本訴は不適法として却下し、被告愛知県に対する本訴各請求は理由がないので、失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟八九条九三条を適用して主文のとおり判決する。

(山田義光 鏑木重明 樋口直)

<謝罪広告省略>

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